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藤田敏八 〜屈折した青春の勲章〜

1 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/14(金) 14:17:26 ID:Di2MZd2Z
この方ほど生々しい青春映画を撮れる監督はいなかったのでは?

2 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/14(金) 14:27:55 ID:4oHpbQgy
藤田はウリ達の同朋2ダ!

3 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/14(金) 16:26:53 ID:CSZM0SOs
この人のこと麻雀好きっていうことしか知りません。
詳しく教えて。

4 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/14(金) 16:38:41 ID:bvhkRYtX
今夜、NHK-BS2で「天使を誘惑」放映。

5 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/14(金) 18:55:22 ID:UCb+XwAU
「ツィゴイネルワイゼン」の青地役にマジ惚れした。
「何てかっけーオヤジだ!」と思ったその時(2001年頃)、パキさんはすでにこの世の人ではなかった。
生きているパキさんに是非ともお会いしてみたかった。
どうでも良いことだが、パキさんの若い頃は何故かくりぃむしちゅー有田に似ている。
有田が年取ればパキさん似になるとはとても思えんが。

6 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/15(土) 00:25:48 ID:AqfXVoxb
90年代は役者としての活動が急激に増えていったけど、いくらなんでもこれはないでしょこれは。

ttp://www.jmdb.ne.jp/1996/dt000420.htm

7 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/15(土) 01:05:33 ID:xL4mFcm/
>>6
「ぬるぬる燗燗」の元ネタは、同じ監督・脚本により、関西テレビ「DRAMADOS」
枠で放送した同名作品。劇場版では渡辺護の役が、オリジナルでは大和屋竺だった。
元々は藤田・大和屋という友情の競演作だったんですよ。
(これは、西山洋一や島田元が、大和屋と親交があったことでキャスティングされた。
 深夜枠だからこそ可能だったお遊び)

藤田さんは、タレント業をシノギと気分転換でやっていた。東大時代に演劇サークルに
入ったり、俳優座養成所に入所したりしていたので、元々は俳優になりたかった人。
知り合いの監督やスタッフの作品だと、割と「え、こんな作品にまで出るの?」
というものにも平気で出ている。
晩年の昼ドラで競演した子どもたちを孫のように可愛がっていたというから泣けてくる。

8 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/15(土) 04:55:44 ID:S3/cpLPL
「たけしの平成教育委員会」に出ていたのはあまりにも不思議だった
ほとんど口を聞いてなかったと思う

9 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/15(土) 05:43:19 ID:xL4mFcm/
>>8
タレントで稼がないと生活が・・・。それに皮肉な話だが、藤田さんをタレントだと思っていて、
映画のことをよく知らない人は、藤田さんに「映画を撮らないんですか?」
とか不躾にバカなことを聞いたりはしない。
撮りたくてもなかなかいい企画がない藤田さんにとっては、「撮らないのか?」と無遠慮なことを
聞いてくる映画関係者やファンこそが、撮りたくても撮れない自分のプライドを無神経に傷つけるものだった。

「映画芸術」の追悼号によると、晩年は馴染みのバーで知り合った映画関係者以外の人間と
の交遊を大事にしていたという。むろん、こういう人たちの大半は映画はよく知らない。
知らないゆえに、生身のお人好しのおじさん・藤田敏八として付き合ってくれるので、煩わしくない。
無論、一方では本業にも意欲は残っていたのだが、イン寸前まで行っていた「不機嫌な果実」
を、病に倒れたために降板してしまう。無念だったでしょう。

10 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/15(土) 06:00:36 ID:xL4mFcm/
いちおう、フィルモグラフィーも貼っておくかな?
ttp://www.jmdb.ne.jp/person/p0310620.htm
ttp://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=56189
ttp://www.geocities.jp/kmkr_01/tv.fujita-toshiya.html

東大→日活 だから本当はエリートなんだけどね。当時の正規採用の助監督は、監督
になるための幹部候補生だったので、そんなに簡単には入れなかった。
それでも撮影所には監督に昇進できない助監督も溜まっていたわけで、誰もが確実に監督になった訳でもなく、
いかに往年の「監督」の地位が高いものだったことか・・・。
(もちろん今でも「監督」になるのは難しいけど、ビデオ録り低予算なら誰でも監督を名乗れるようになってきたのも事実)

こういう人が外れていく青春を描くと巧い、というのは面白いね。客観的にはエリートなんだけど、本人の中の資質としては、あくまで
モヤモヤとした収まり切らないアウトサイダーだった、ということなんでしょうね。

11 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/16(日) 11:59:36 ID:TrHlm9DU
「もっとしなやかに、もっとしたたかに」は本当の意味での“日活最後の作品”だったね。(当時のポスター等では既に、“にっかつ”となっていたが。)
予告では名前が出ていた浜口竜哉が本編に出ていなかったのが気になるが。

12 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/16(日) 19:56:02 ID:hVWlSMui
10年くらい前、西新宿にある会社に勤めていたんだけど、パキさん近所に住んでいたようで、よく
散歩しているところを見かけた。
でかい人だったな。体も、顔も。

13 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/16(日) 21:32:53 ID:tBYvEVNn
「非行少年・若者の砦」が観たいな……
DVD化しないのかな……

14 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/18(火) 01:08:28 ID:83ZC+084
師匠の影響が最後まであったね。
まあ、本当のの直系なのかも

15 :この子の名無しのお祝いに:2005/10/18(火) 02:30:41 ID:w/lLZ48g
>>14
師匠=蔵原さんですか? 蔵原さんの作家的ピークはほぼ日活時代で終わっているが、
パキさんは割と持った方じゃないかな?
フィルモグラフィーを見ると分かるが、デビュー後から割合に仕事は途切れていない。
それだけに「リボルバー」以降に劇場用映画を撮れなくなったのは痛かった。
(一応、TV作品も撮ってはいるものの・・・)

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